積極的実在論とシェリング―マウリツィオ・フェラーリスの射程
Maurizio Ferraris's Positive Realism and Schelling
菅原 潤(日本大学・哲学)
21世紀に入ってから目につく哲学運動として「新実在論」ないし「思弁的実在論」が挙げられるが、そのなかで一際注目されるのが、こうした実在論を掲げる論者のうちで、シェリング哲学に共感を示す者が少なくないということである。本発表では21世紀の実在論者のうちで影の薄いマウリツィオ・フェラーリスを取り上げたいと思う。その理由は2つある。
1つはなるほどフェラーリスはイアイン・ハミルトン・グラントやマルクス・ガブリエルと比較すれば、集中的にシェリング哲学を研究した痕跡が認められないものの、最近フェラーリスが掲げた「積極的実在論」の立場には、後期シェリングにおける経験論への注目に近しいものがあると判断されるからである。もう1つの理由はこれに連動するが、「積極的実在論」が提唱する知覚の改訂不可能性のテーゼが、フェラーリスによるポスト・モダニズム批判の中核を担っているからである。なるほどポストモダン思想の保守性については、これまでにいろいろな論者が述べているが、フェラーリスの場合ポストモダン思想と等置されている構築主義の淵源が遠くカントとデカルトに求められているのが特徴となっている。こうしたポストモダン批判とフェラーリスの主張する「積極的実在論」がどのように関わるかを見定めれば、シェリングのみならず広く21世紀の人文系の学問に再考を迫れることになると思われる。
グラハム・ハーマンによる紹介を参考にして、フェラーリスの経歴について簡単に触れておこう。フェラーリスは1956年のミラノ生まれ、ジャック・デリダの流れを汲むジョアンニ・ヴァッティモの弟子である。1992年3月にナポリ大学でフェラーリスはハンス=ゲオルク・ガダマーの講義を聴き、そこで「存在は言語である」という発言を耳にした。たちどころにしてフェラーリスはこの発言が偽りであることを悟り、実在論的転回が始まったということである。なお『新実在論宣言』の序文によれば、「新実在論」とは2011年6月23日にナポリ市のレストランで、ガブリエルが国際哲学センター立ち上げのためのシンポジウムに相応しい語は何かないかと尋ねたところ、フェラーリスが提案した語である。『積極的実在論』の末尾に収められた仮想の対話編のなかに、最近邦訳の出た『なぜ世界は存在しないのか』を擁護する文言が見られることも考え併せると、ガブリエルの理解にフェラーリスが重要なのは、容易に知られることだろう。