王国維によるショーペンハウアーの「直観」概念の解釈について
Über Wang Kuo-weis Interpretation von Schopenhauers Konzept der Anschauung
劉 佳(東京大学・美学)
王国維(以下「王」と略称する)(1877-1927年)は、「新学術」の開拓者として西洋近代思想、特にはショーペンハウアーの認識論・美学思想を清末民初の中国に紹介し、それを中国の古典文芸理論と融合することによって中国近代美学思想を創始した。本発表では王によるショーペンハウアーの「直観」概念の解釈に焦点を当て、王が東西の思想をいかに比較したのかを考察する。王の成熟した思想は『人間詞話』(1908-1909年)に表明されているが、そこで提起されている「境界」概念もまた王によるショーペンハウアーの「直観」概念の解釈と密接に連関する。
具体的に述べるならば、発表者は王の『静庵文集』(1905年)の中のショーペンハウアーに関する論考と、王が実際に読んだショーペンハウアーのホールデンとケンプ(R.B.Haldane and J.Kemp)による英訳版『意志と表象としての世界(The World as Will and Idea)』とを詳細に対照することによって、王が実際に行ったショーペンハウアー研究を実証的/文献学的に追構成する。そこから明らかとなるのは、王がショーペンハウアーのいう「直観」をその対象と学問範囲との違いに即して以下の三つに区別していることである。
第一の「直観」は、ショーペンハウアーの認識論において言われる悟性の形式のうちの「純粋的直観(pure intuition or perception)」であり、王はそれを中国語で「直観」と名づける。そして王はそれを荀子の「天官」と比較し、「直観」を心の作用としての悟性が五感の感覚を直覚することと定義する。第二の「直観」は、ショーペンハウアーの認識論に即するならば意志の客観化としての身体を知的に直観すること(intelligent perception)、ないし意志を直接的に認識される(immediately known)ことであり、王はそれを「反観」という中国語で表す。この「反観」という語は邵康節(1011-77年)に由来するが、王はこの「反観」という語によってさらに、邵康節のいう「物によって万物を観る」ことをも指し示す。そして王によれば、この第二の意味における「反観」はショーペンハウアーの美学における「美的直観(aesthetic perception)」、「静かな観照(quiet contemplation)」に対応する。そして王はこの第三の意味における「直観」を理念への「静観」と呼ぶ。発表者の考えるところ、ショーペンハウアーの認識論・美学における「直観」概念を以上のように三つに弁別したことが、後年の王の「境界」理論の基本的枠組みをなしている。