シラーとシェリング
長倉誠一(武蔵大学・哲学)
根源的意味での「自由」は「必然」と一体である、と私は考えるが、シラーもシェリングもこの「自由」を、思想の根幹に据えていた。両者は、シェリングがイエナに移った1798年以降、親密な交友関係をもっていたし、思想に関しても無縁とはいえない。この報告では、この両者の思想上の関係について検討する。
I) シラー思想の三つの基本特徴
基本的特徴として、次の三点に言及する。①「美」と「崇高」と「理想美」、これら三者の関係について、②「芸術美」の前提としての「自然」、③「自己自律」や「形式の内的必然性」といったキーワードに示されたスピノザ主義。
①『優美と尊厳について』では、〈自由な美しい魂〉の〈現象としての優美〉と、〈自由な崇高な魂〉の〈現象としての尊厳〉、さらに、優美と尊厳との統合が「理想美」とされている。この三区分は、さらに『人間の美的教育について』でも同様である。そこでは、「美」は、狭義の美と崇高とにそれぞれ相当する「融解的な美」と「精力的な美」とに区分され、両者の統合が「理想美」とされ、「ルドヴィシの女神像ユーノー」が実例とされている。
②93年2月ケルナー宛書簡に同封され、さらには、翌年8月31日付ゲーテ宛書簡にも同封された二つの小論、「現象における自由と美とは一つである」と「芸術の美」をもとに、シラーにとって、芸術家が美を形成するのも「自然が美を形成したという仮象」による、とされる点を確認する。
③シラーの〈スピノザ主義〉とはF. バイザーの指摘によるが、その際に指標とされた「自己自律」と「形式の内的必然性」について見ておく。これは基本特徴とした②の帰結である。
Ⅱ)表面での両者の一致
シラー思想の三つの基本特徴をシェリングの著作のなかに見ることができる。①については、『超越論的観念論の体系』でも一致箇所を挙げることができるが、とりわけ『芸術の哲学』では、「崇高はその絶対性においては美を含んでいるが、同じように、美はその絶対性においては崇高を含んでいる」と語られ、「ルドヴィシのユーノー」が狭義の美と崇高との相互浸透の実例とされている。②については、『芸術の哲学』でも一致する箇所が見られるが、とりわけ『造形芸術の自然との関係について』では、松山壽一氏の指摘のように、「芸術家は自然精神を範とすべし」、「自然同様、創造的・有機的に作品をすべし」とされる点でシラーと等しい。③については、異論も承知しているが、同一哲学期までのシェリングにもいえる。
III)裏面での両者の相違
シラーは、『超越論的観念論の体系』第6章についてシェリングと直接論争し、それをゲーテに報告しているが、この書簡にも両者の違いが示されている。シラーは現実的な経験にあくまで忠実に美について語ったが、対するシェリングは、哲学体系を目指し、形而上学的関心にもとづいて芸術を論じた。これは、両者の「自由」概念の違いにそのまま対応している。両者とも「自然本性」からの必然性に「自由」を見たとはいえ、シラーの「自由」は感性界、シェリングの「自由」は英知界に属するものであった。