色と心――ヘーゲルによるゲーテの『色彩論』の受容をめぐって
Farbe und Seele――Über Hegels Annahme der "Farbenlehre" Goethes
栗原 隆(新潟大学・哲学)
ヘーゲルは、イェーナ期以降、ゲーテから思想的に大きな影響を受けるとともに、公私に亘って深い関係を育んでいた。ある意味では、ヘーゲルをヘーゲルにしたのはゲーテだったと言っても過言ではないほどなのである。さらにローゼンクランツの『ヘーゲルの生涯』には、イェーナでヘーゲルが、「ゲーテの色彩論」に関わる実験を行ったという記述がある(Vgl.Hegels Leben,198)。しかし、ゲーテがニュートン批判の脈絡で光学と色彩論を研究した『光学論考(Beyträge zur Optik)』(1791年・92年)は刊行されていこそすれ、『色彩論』はまだ刊行されていない時期である。
イェーナでの『体系構想Ⅰ』(1803年)、いわゆる『実在哲学Ⅰ』のなかの「自然哲学」から既にヘーゲルは、ゲーテの「色彩論」に論及している。ゲーテの『色彩論』が刊行されていない時点でのこの論及は、ヘーゲルがゲーテの『光学論考』を知っていたことを物語っているのであろうか。
『光学論考』でゲーテは、「縁(Rand)」を重視していた。したがってイェーナでのヘーゲルの「色彩論」には、「縁」という認識はない。『体系構想Ⅱ』における叙述にも、「縁」の発想は見られない。従って1791年に刊行されたゲーテの『光学論考』を踏まえた上で、イェーナ時代初期に色彩について論述した、とは考えにくいのも事実なのである。すると浮かび上がってくるのは、シェリングからヘーゲルが、ゲーテが執筆を始めていた色彩論について、事情を聴いたという可能性である。
ヘーゲルが直接、ゲーテの『色彩論』に接して言及した最初は1812年から13年にかけての冬学期、ニュルンベルクのギムナジウムでの「哲学的エンツュクロペディー講義」の「自然哲学」であろう。そこでも色の混合について論じられている。「ゲーテは『色彩論』でニュートンの体系を突き倒したのです」(Vgl.GW.X-2,S.759)。さらに、『ハイデルベルク・エンツュクロペディー』(1817年)でも、「ゲーテによる光のなかでの闇の明るさ」(GW.XIII,S.136)と述べられる。ゲーテの『色彩論』の特徴をなすのが、色の混合はもとより実に、光と闇の対比であり、ゲーテの厖大な論述の中でヘーゲルが最も着目した論点はこれであった。
1819年冬学期での「自然哲学講義」にあって色彩論は非常に多く取り上げられている。1821年から22年にかけての「自然哲学講義」でも論及は多い。ところが、23年から24年にかけての冬学期、そして25年から26年の冬学期での「自然哲学講義」では限定的にしか取り扱われなくなる。
『自然哲学』において「色彩」が論じられなくなるのと時期を同じくして、「精神哲学」の枠内において、色彩論を展開するようになったことが「主観的精神論のための断章」(1822~25年)や、1825年の「精神哲学講義」の受講者による筆記ノートから伺える。ヘーゲルによる色彩論についての論述が、『自然哲学』から離れ、『精神哲学』の圏域へと移ったのはなぜだったのであろうか。
ヘーゲルが、色彩を論じる文脈にはもう一つ、『美学』があった。「そもそも画家を画家たらしめるのは、まずもって色彩と彩色法(Colorit)です」(Ästhetik(1820/21).272)という。そしてヘーゲルはディドロの『絵画について』へと論及する。「肉体の感じをつかんだ画家は長足の進歩をとげたわけである。それ以外のものは、二の次である」(Ästhetik(1820/21).275)。
ディドロの『絵画について』の第二章にゲーテは次のような注解を続けている。「ディドロが、身体に即して私たちの眼にとまる色彩の頂点に立っているのは正しい。私たちが生理現象、物理現象、化学現象に際して気づいたり、区別して眼にとめたりする基本の色彩は、それらが有機的に応用されることによって、自然のありとあらゆる素材と同じように、高貴なものにされる。最高の有機的な実在は、人間なのである」(Goethe,XIII,S.235)。ディドロは次のようにも論述していた。「歓びが肌を通して湧き上がり、最も細い血管でさえ揺れ動いて、生き生きとした流動体の気づかないような色合いが私の顔だちのすべての上に生命の色彩を拡げていた。(…)それを人は、心と呼ぶのである」(Goethe,XIII,S.236f.)。ディドロのテクストに接しても、ヘーゲルは、色を自然現象として『自然哲学』において論ずるよりも、生き生きとした「心」を分析する『精神哲学』の「人間学」においてこそ、扱うべきだという思いを強くしたに違いない。『エンツュクロペディー』の体系構想が進むにつれて、色彩論は『自然哲学』の問題圏からは離れたと考えられるのである。