ケルン時代のフリードリヒ・シュレーゲルにおける知性と理性
山口沙絵子(東京大学・美学)

 本発表は、フリードリヒ・シュレーゲルの中期思想、特にケルン時代の哲学講義において
「知性Verstand」が「理性Vernunft」に対して明らかな優位に置かれていることに注目し、その内的論理と歴史的独自性を解明する試みである。シュレーゲルの知性優位論は、彼の思想を長期にわたって貫く基本的見解の一つである。一般にいうロマン主義の時代
(1790年代後半)の末から既にその萌芽は見られ、イエナ講義『超越論的哲学』(1800/01)において一応の暫定的体系化を経て以降、「知性」を「理性」に優越させる枠組みはカトリック的啓示宗教への傾向を強めていくパリ時代(1802-1804)ケルン時代(1804-07)を通じて一貫しており、最終的なカトリック改宗(1808)の後も終生変ることがなかった。その拠って立つ論理を、ケルン時代のシュレーゲルによる叙述に即して明らかにすることで、その前後にわたる知性論の展開を検討し、ひいては彼の思想発展の内的連続あるいは断絶を論じるための一つの足がかりを得ることが、本発表のねらいの一つである。もう一つのねらいは、シュレーゲルの論じる「知性」概念の独自性を、哲学史的文脈の中で明らかにすることにある。彼の議論は〈知性intellectus-理性ratio-感性sensus〉という伝統的序列の系譜に属する点で、この序列の部分的逆転を〈理性Vernunft-悟性[知性]Verstand-感性Sinnlichkeit〉という形で決定づけた批判期以降のカントの思想とは一線を画しており、理性優位のその後の哲学動向の中で例外的な位置を占めていると考えられるからである。
 「知性」と「理性」の関係は、とりわけ『哲学の発展』(1804/05)第2-4講「意識の理論としての心理学」及び『序説と論理学』(1805/06)第3講「論理学の提示」第一部「心理学」において主題的に論じられている。これらのテクストに基づいて、本発表は中期シュレーゲルにおける「知性」と「理性」の内実を整理しつつ、カントのそれとの比較を行う。「知性」を「概念」の能力とし、「理性」を「実践的」能力とする限りにおいて、両者は一見したところ一致する。しかしその意味するところは大きく異なっている。この差異を『哲学の発展』第1講「序論」におけるシュレーゲルの哲学史理解を参照しながら詳細に検討することによって、本発表は最終的に「伝達」や「共同性」そして「理解Verstehen」にかかわる能力としての「知性Verstand」論と、それを頂点としたシュレーゲルの認識論の構造を明らかにすることを目指す。