15:50-17:20 【クロス討論】 「カント『オプス・ポストゥムム』とシェリング」
「カントの『オプス・ポストゥムム』と初期シェリング哲学」
Kants Opus postumum und die frühe Philosophie Schellings
内田 浩明(大阪工業大学)

 『オプス・ポストゥムム』(以下、『遺稿』)とは、カントが1796年頃から1803年までに執筆していた草稿の総称である。アカデミー版カント全集の第21巻と第22巻に分冊され、1250頁を超える膨大な草稿は、全部で13の束(Convolut)――ただし第13束は別の草稿が紛れ込んでおり、実質的には12の束――からなるが、束に付された番号は便宜的なものにすぎず、必ずしも執筆の順序を表しているわけではない。例えば、最も執筆時期が早いのが第4束であり、最も遅いのが第1束といった具合である。
 『遺稿』の内容は、その大部分が「自然科学・自然哲学的」な叙述となっている。というのも、カントは生前『遺稿』を「自然科学の形而上学的原理から物理学への移行」というタイトルのもと、「物質の運動力の基礎体系」を論じるために、その出版を考えていたからである。しかし、1800年以降の草稿群では「認識論的・形而上学的」な叙述が徐々に増えてくる。なかでも第7束では「自己定立」論が、第1束では「神・世界・人間」という原理を前面に押し出しつつ理論哲学と実践哲学との統一を企図する「超越論哲学の最高の立場(der Transscendentalphilosophie höchster Standpunct)」というプランが提示される。これらのうち、「自己定立」は、周知の通り、フィヒテ哲学の根本原理であり、初期シェリングにとっても重要な概念となる。また、『遺稿』全体においてカントと直接的な交流があったフィヒテの名は一度も登場しないにもかかわらず、『遺稿』第1束においては短文ながらシェリングの名が2度――1箇所はスピノザとリヒテンベルクの名とともに、もう1箇所は『超越論的観念論の体系』の「書評」である『エアランゲン文芸新報82号、83号』を参照せよという文言とともに――記されている。
 本発表では、カント研究者の間でもその全体像が必ずしも十分知られていないため、第一節では『遺稿』を概観する。その際、上記の「自然科学・自然哲学的」から「認識論的・形而上学的」への転換点とも言える、『遺稿』に特有の「エーテル証明」(「エーテル演繹」とも呼ばれる)も紹介する。次に第二節においては第7束を中心に開陳されるカントの「自己定立」論が『純粋理性批判』(第二版)の「自己触発」の延長線上にあり、内容としてはフィヒテやシェリングのそれとは異なることを示したい。そして最後に、第三節では第1束におけるシェリングへの言及箇所を巡る先行研究を適宜参照しながら、出来うれば、カントとシェリングの超越論哲学の体系的位地付けの違いについて論じる予定である。