クロス討論「ラクー=ラバルト/ナンシー『文学的絶対』
――フランス現代思想とドイツ初期ロマン主義の邂逅」 (7月7日(土)14:50-16:20)
Ⅱ 絶対的,体系的,有機的――1800年前後のフリードリヒ・シュレーゲルにおける分有の思考
Absolut, systematisch, organisch.Zur Idee der Mitteilung bei Friedrich Schlegel um 1800
武田利勝(九州大学・文学)

 ジャン=リュック・ナンシーがその主著の一つ『無為の共同体』(1999)において,バタイユやマルクスといった登場人物たちともに「分有」としての共同体を語るのを読むとき,彼らを通してどうしてもシュレーゲル兄弟,ノヴァーリス等の姿が透かし見えてしまうのは,初期ロマン派の思想世界にある程度慣れ親しんだものの性かもしれない。翻って見ればしかし,メニングハウス『無限の二重化』や仲正昌樹『モデルネの葛藤』等の代表的諸著作以降,ポストモダンのバイアスから自由に,初期ロマン派の思想世界の中に入り込むこともまた困難となってしまったように思える。
 『シェリング年報』11号において「ポストモダンとシェリング」が特集されたのは15年も前になるが,現代思想と初期ロマン派との関連性が(それぞれの理解の程度において)自明とされる今,両者をアクロバティックに接続させあうことも,相互の内容的類似性を再確認することも,いずれも今回のクロス討論の目指すところではないように思われる。むしろ本報告は,柿並氏がラクー=ラバルト/ナンシーとともに言われる「今日なおわれわれ自身に,われわれの理論的なまどろみに,われわれが抱くエクリチュールの夢想に取り憑いて離れぬもの」としての「文学的絶対」が,200年以上前のドイツ中東部にいた一人の人物に「取り憑い」たまさにその現場を,当の人物フリードリヒ・シュレーゲルとともに語ることとしたい。
 すなわち本報告では,1800年前後にシュレーゲルが書いた遺稿や遺された講義録(『超越論的哲学』)――これらはラクー=ラバルト/ナンシーの仕事においてはほぼ参照されていない――を主たる手掛かりとしながら,ひとつの絶対的体系が有機的に生成してゆく――あるいは有機的な体系が絶対的に生成してゆく有様を「絶対的に/一切の束縛なく(absolut)」描出し,そのうえでシュレーゲルとともに,かかる体系の「分有/伝達(Mitteilen)」可能性を問い直すことになるだろう。