13:20-16:20 【シンポジウム】 「人新世」
「人新世における人間の痕跡と人間の条件についての哲学的考察」
The philosophical consideration on the human imprint and its condition in the age of the Anthropocene
篠原 雅武(京都大学)

 人新世について書かれた科学論文の冒頭では、次のように論じられている。「グローバルな環境におよぶ人間の痕跡があまりにも巨大で活発になり、地球システムの作動におよぼすその影響が自然の巨大な諸力に匹敵するものになった」 (※)。その例は、二酸化炭素排出による温暖化である。「二酸化炭素のような、色がなく匂いもないガスの莫大な量の排出が、地球の表面のエネルギーバランスに影響を及ぼすことがある。このことへの自覚が、人間活動には人間および(その他の)生命を支えるエコシステムのサービスへの広範な影響を与えることができることへの確信を、いっそう強化することになる」。だが、この論文によると、二酸化炭素と温暖化は氷山の一角である。「窒素、リン、硫黄のような物質の循環を変える」、「水の流れを変える(ダム、河岸工事など)」、「都市開発にともなう土地造成や埋め立て」、「動植物の絶滅」といったことも、人新世的状況を例証する具体的な事例である。」人新世において問われるのは、人間が地球に及ぼす影響なるものをどう考えるのか、である。それも、都市開発や二酸化炭素排出や森林伐採のような現実的行為が地球つまりは人間もまた生きているところに対して刻みつけていく「事物的な」影響をどう考えるのか、である。自然科学では、この影響は数値的・定量的に、客観的に把握されるが、チャクラバルティやモートンのような人文系の人たちは、この事物的影響に関して、客観的とは違う意味での「現実的なもの」として捉え、言語化する。チャクラバルティは、「現在の危機は、人間の形態における生の存在を支える他なる諸条件を露呈させるが、これらの諸条件は資本主義や国家主義や社会主義的なものとはそもそも関連しない。これらはむしろ、この惑星における生の歴史と関連する」と述べる。モートンは、人間ならざるものとの相互連関的な網の目のなかへと組み込まれていく人間が、この網の目を損傷させていくことで、因果応報的に自らの生存の条件を危うくさせていくというのだが、逆に言うと、損傷させているという意識において、本当に私たちを支えていたものの現実への自覚が目覚めていくということでもある。本報告では、主に二人の論者の議論を検討しつつ、人新世における人間の痕跡の事物性、人間の条件の損傷といったことをめぐって考察してみたい。

※Will Steffen , Jacques Grinevald , Paul Crutzen and  John McNeill, “The Anthropocene: conceptual and historical perspectives,” Philosophical Transactions of The Royal Society A 369(2011): 842-67.