7月6日(土) 12:30-13:30 【特別報告】
ハイデガーの無底解釈をめぐって ―シェリング演習(1927/28)をもとにして―
Die Interpretation des Ungrundes bei Heidegger -Aufgrund des „Heideggers Schelling-Seminars“ (1927/28).
茂 牧人(青山学院大学)

 ハイデガーは、1936年にシェリングの自由論について講義している。今は全集の42巻に収録されていて、日本語訳も出版されている。しかし一般的に言われていることは、この1936年の講義録では、自由論の最も注目すべき無底(Ungrund)概念には、一度しか触れておらず、ほとんど考慮に入れられていなかったことである。むしろハイデガーは、この講義録の中で体系と自由との相剋の問題を扱い、大幅な頁数を割いている。彼は、悪の形而上学の問題にあまり関心を示さず、無底の概念にあまり触れなかった。なぜならハイデガーは、シェリングが、悪の問題を解決するために根底や無底の概念を用いたが、それが体系の外部性となるので、体系が破綻しており、挫折したと解釈していたので、触れなかったというのだ。
 しかし、近年ローレ・ヒューンとヨルク・ヤンツェン氏が編集した『ハイデガーのシェリング・ゼミナール(1927年28年)』(Schellingiana 22) が刊行され、その中にハイデガーが1927年28年にマールブルクで行ったシェリング・ゼミナールのプロトコルが収録された 。そこでは、まさに無底概念が中心的な概念として論究されていることが判明した。それによって、ハイデガーの無底解釈のこれまでの定見が覆されるきっかけとなった。
 今回は、そのマールブルクでの演習を中心にして、ハイデガーの無底概念の解釈を整理してみよう。そこでまずは、フィリップ・シュワブやアルフレッド・イェーガーなどを参照しながら、1936年の自由論講義の問題点を整理する(第1節)、その後1927年28年のシェリング演習を整理して、そこで展開されているハイデガーの無底概念の解釈の意義について考える(第2節)。さらに、ハンス―ヨアヒム・フリードリヒの『ベーメ、シェリング、ハイデガーの思索における自由の無底』(Schellingiana 24)を用いて、ハイデガーがシェリングの無底概念から深淵/脱根底(Abgrund)概念を練り上げていることや、シェリングの無底概念とハイデガーの深淵/脱根底概念の親縁性を剔出して、その意義について考える(第3節)。結論としては、シェリング自身が、この無底の否定神学的思索によって観念論の形而上学を超えて思索して、その思索がハイデガーの<形而上学の克服>のモチーフへと影響を与えたことを論証したい。