シェリング『芸術の哲学』における「範例性」と「独創性」
――その歴史的文脈の体系的再構成の試み――
Das "Exemplarische" und die "Originalität" in Schellings Philosophie der Kunst. Versuch einer Rekonstruktion aus historisch-systematischer Sicht
小田部胤久(東京大学・美学)

 シェリングは『芸術の哲学』(1802-03年、1804-05年講義)第58節において、「かしこ〔古代の芸術〕においては範例的なもの(das Exemplarische)ないし原像性(die Urbildlichkeit)が、ここ〔近代の芸術〕においては独創性(Originalität)が支配的である。……前者にあっては出発点は同一(ホメロス〔ギリシア語の「一つにまとめる者」〕)、一つ、すなわち普遍それ自体であるのに対し、後者においては出発点は常に必然的に異なっている、なぜならそれは特殊の内にあるからである」(AA II,6,1. S. 186)、と述べている。この箇所は、シェリングの歴史的批判版の註(II,6,2. S. 601)が参照を求めているように、カントの『判断力批判』(1790年)第46節にみられる次の一節を踏まえている。「天才は、第一に、それに関しては一定の規則の存在しえないものを産出する才能であり、何らかの規則に従って学ぶことのできるものに対して熟練するための素質ではない。従って、独創性(Originalität)が天才の第一の特性でなくてはならない。第二に、独創的な無意味(originaler Unsinn)というものも存在しうるのであるから、天才の所産は同時に模範(Muster)、つまり範例的(exemplarisch)でなくてはならない」(Kant, V, 307 f.)。一見して明らかなように、カントにあっては範例性と独創性はともに天才ないし天才の所産を特徴づけるものである(したがって、両者は〈範例的独創性〉という一つの概念に集約する)のに対し、シェリングにおいては範例性と独創性はそれぞれ古代の芸術と近代の芸術を特徴づけるものとして区別されている。古代と近代とを対比的にとらえる発想はカントにはほぼ皆無といってよいが、一七九〇年代半ばにシラー、シュレーゲル兄弟らによっていわゆる古代人・近代人論争(新旧論争)が美学上の中心主題の一つとなり、シェリングの『芸術の哲学』もまたそうした流れを承けている。本発表ではこうした点に着目しつつ、シェリングの「範例性」と「独創性」をめぐる議論を歴史的・体系的に再構成する。