7月7日(日) 11:40-12:20 【一般研究発表Ⅶ】
政治思想家としてのシェリング?——その国家論を手掛かりに
中村 徳仁(京都大学)

 本発表はシェリング哲学における政治思想の位置づけについて、彼の国家概念を中心に検討するものである。そもそもシェリングは、フィヒテやヘーゲルと比べるとまとまった政治的著作を遺さなかったことから、政治思想として参照されることは比較的少なかった。例えばハーバーマスは自らのシェリング論「唯物論への移行における弁証法的観念論」(1963年)の冒頭で「シェリングは政治思想家ではない」と喝破している。ところがそうした解釈は、1989年頃に主にH.J. ザントキューラーとM. シュラーヴェンの仕事によって転機を迎える。中でもシュラーヴェンの『哲学と革命』(1989年)は、シェリングが3月革命期に遺した日記を基に、当時の政治状況との関連から彼の後期思想を捉えなおした画期的著作だった。本発表では、シュラーヴェン達による後期思想の再解釈に触発され、1810年頃のいわゆる中期思想との接続を試みる。
 1795年から1810年までの時期にシェリングは、当時進行していたフランス革命と並行して様々な形容をもって国家を捉えようとしている。ヘーゲル達との共作とされる『ドイツ観念論最古の体系プログラム』において国家は廃絶の対象として魂のない「機械」であると論じられるが、その後の『学問論』では個人と全体の調和のモチーフとして有名な「有機体的国家観」が展開され、A.ミュラーなどにも影響を与えた。しかし、シェリングは彼を思想史上有名にした「有機体的国家論」を以て自らの国家論を完成させたわけではない。1810年の『シュトゥットガルト私講義』(以下、『私講義』)における「第2の自然」としての国家は、自由を求めた人間が原初の自然を再現することは叶わずに生みだしてしまう失敗作として位置づけられる。ハーバーマスをはじめここにシェリングの反革命的ないし反動的態度を見出す論者は多いものの、議論を追っていけば彼が自由の実現を放棄したわけでは決してないことは明らかであり、その態度は3月革命への反対を示す『神話の哲学』の頃にも一貫している。
 人間は国家から必然的に逃れられないものの、その構成自体は偶然に左右されるという洞察を共有しているという点で、本発表は中期の『私講義』と後期の『神話の哲学』第23講の間に連続性を見出す。それにあたり、シェリングにとっての「政治」は、単なる諸党派の争いではなく、自由の実現に向けて何かを「構成」することにあったという点が重要となる。