7月6日(土) 15:00-15:40 【一般研究発表Ⅰ】
変容(Metamorphose)と進展(Evolution)
Metamorphose und Evolution
栗原 隆

 「私が自らの精神的な展開の来し方を眺めるならば、その道程のそこかしこで、あなたに負うところが大きいことに気づきます。そうしたわけで、私は自分自身をあなたの子どもの一人であると名乗ってもよいくらいだと思っています」(Br.III,83)。これは、1825年4月24日付で54歳のヘーゲルがゲーテに宛てた手紙の中の一文である。ゲーテに触発されたことがヘーゲルをヘーゲルにしたと言ってもいいことは、幾つかの思想的局面で明らかである。その最初は、『植物のメタモルフォーゼを解明する試み』(1790年)を、シェルヴァーを経て知るに到ったところに見定められる。E・フェルスターによれば、ヘーゲルに比べシェリングは、メタモルフォーゼ論の本質を外して理解していたという。
 しかし実のところ、シェリングは『世界霊』(1798年)において、いち早く「メタモルフォーゼ」について論及していた。「蕾がいずれも、一つの新しい個体だとするなら、植物のメタモルフォーゼも、少なくとも類似した現象として挙げることができよう」(SHKA,VI,68)。『自然哲学体系の第一草案』(1799年)では、「あらゆる現象が明かしているのは、昆虫のメタモルフォーゼが、既に予め生成された諸部分の純然たる開展(Evolution)を介して生じるのではなく、現実的な後成や統体的な変形を通して生じるということである」(SHKA.VII,286)として、前成説を主唱したハラーやボネを批判することになる。開展はもとより、前成説を象徴する標語とされていた。
 思想史を振り返るなら、「開展(Evolution)」も「メタモルフォーゼ」も、私たちは、『単子論』のうちに見出すことができる。ライプニッツの『単子論』の最初のドイツ語訳(1720年)の75節(現行版73節)に次のような一節がある。「私たちが発生と呼びならわしているのは、開展(Evolution)や生成(Wachsthum)に他ならない。これに対して死と呼ばれているものは、内化・包蔵(Involution)や減退もしくは減少のことである」(S.37)。次いで76節(現行版74節)では前成説が明言されていたのである。
 『自然哲学体系への草案序説』(1799年)に到ってシェリングは、「あらゆる形態の根底にある『原型』」(Einleitung,48)へ論及するとともに、「所産は無限のメタモルフォーゼのうちに把握される」(Einleitung,47)とする見地から、「進展(Evolution)」としても語る。「私たちが自然と呼ばれるもののうちに見るのは、根源的所産そのものではなく、根源的所産の進展である」(Einleitung,32)。こうしたシェリングの把握の何処が、本質を外したメタモルフォーゼ理解なのか?
 ライプニッツにおけるように、前成説を表現する「開展(Evolution)」という発想が、1800年ごろにかけて、いかなる進化を遂げて「進展」概念となったのか、それを確認しながら、ヘーゲルとシェリングとにおけるゲーテ受容の違いを際立たせることを目指す。