クロス討論「ラクー=ラバルト/ナンシー『文学的絶対』
――フランス現代思想とドイツ初期ロマン主義の邂逅」 (7月7日(土)14:50-16:20)
Ⅰ 断片の共同体――イェーナから〈われわれ〉へ 
La communauté des/en fragments ― d'Iéna à « Nous »
柿並良佑(山形大学)

 『文学的絶対』は1978年にフランスの哲学者,フィリップ・ラクー=ラバルトとジャン=リュック・ナンシーが世に問うた著作である。ただしその「著作」は当時フランスでは翻訳の限られていた「初期」ロマン派の「理論」的テクストを訳出し,少なからぬ注解を付したものであった。そうしたいささか奇妙な生い立ちの『文学的絶対』は,とはいえフランス本国でもいわゆるレフェランス本として利用されてきたし,それを踏まえてロマン派やドイツ観念論をめぐる議論の呼び水になってきた。その途上,研究の進展により批判的な言及を受ける機会も当然ながらあったし,いくつかのテクストについてはすでに新訳も現れている。だとすれば彼らのロマン派紹介もその歴史的使命を終えつつある,ということになるのだろうか。
しかし同書から10年の後に出版された英語訳(1988年),さらにそこから30年も経とうかという今日,韓国語訳(2015年),ドイツ語訳(2016年)が刊行されるなど,その意義を再検討しようとする動きがあることも事実である。
 以上の状況を踏まえ,本発表ではまず
(1)『文学的絶対』刊行当時のフランスにおけるドイツロマン派受容の状況
(2)『文学的絶対』の構成,ロマン派のテクストの取捨選択,その解釈の特徴
(3)『文学的絶対』以後,フランスにおけるロマン派研究の現在
について概観することを――発表者の能力を優に超えることは承知の上で――目指したい。
 ロマン派についての歴史的一研究を研究する――本発表がいささか奇妙な相貌をまとうことは否定しがたいにもかかわらず,これを引き受けようとするのはなぜか。いくつかの理由からラクー=ラバルトとナンシーにとって最初の〈書物〉と呼べなくもない『文学的絶対』には,陳腐な言い方をすれば,その後の二人のすべてがある。とりわけシュレーゲルらの「断章=断片」概念が二人のフランス人哲学者によってどのように取り出され,検討され,批判され,あるいは引き継がれたのか? そのような問いをときほぐしていくと,「共同体」や「無為」といった特にナンシーの駆使する概念の母型のごときものが見えてくるはずだ。
 あるいは,著者たち自身の言葉を繰り返すとすれば,「文学的絶対」とは今日なおわれわれ自身に,われわれの理論的なまどろみに,われわれが抱くエクリチュールの夢想に取り憑いて離れぬものだ。したがって最終的に問われるのは〈われわれ〉自身ということになるだろう。