〈ロマン主義的古代観〉とシューベルト――ギリシア神話とプラトン受容を中心に――
堀 朋平(国立音楽大学・美学)

 「神話」の不在をめぐるF. シュレーゲルの問題提起がなされた1800年は、西洋音楽史においても、作曲家の中に〈独創〉と〈歴史〉の分裂が生じた時期にあたる。古代神話の世界は自己から「遠く異質」であるゆえにこそ「自己を再び見出すためのあらゆる出発点を含む」(ヘーゲル/ガダマー)と言われるとおり、近代作曲家にとって神話世界は、共通の創作規範が希薄な時代に各々が依るべき羅針盤として機能したように思われる。
 フランツ・シューベルト(1797-1828年)も、ギリシア神話を題材にした詩に基づく歌曲を約35作品ほど(数え方によっては50作品にのぼる)残しており、これは全独唱声楽曲の約6ないし8パーセントを占める。今日「古代歌曲(Antikenlieder)」と称されるそれらの作品を眺めてみると、二つの事実が際立っている。第一に、大半が(ゲーテやシラーといった)大詩人ではなく一人の親友アマチュア詩人に依拠していること、第二に、古代歌曲の成立は作曲家としての自立が始まる1817年ごろに集中し、1820年代にはほぼ姿を消すことである。
 件のアマチュア詩人の名をヨハン・マイアホーファー(1787-1836年)という。リンツで神学を修めた学究肌の彼は、ウィーンで作曲家と長期にわたり同居してシュレーゲルを含む古今の詩を教えるも、ニヒリズム色濃いその人生は自死によって閉じられる。彼が作り上げた古代世界はいかなるものだったのか。本報告で掘り下げたいのは、およそ二つの論点である。
 第一に、マイアホーファーの詩には、下敷きとなりえた神話(ギリシア悲劇やオヴィディウスやゲーテ作品等)を翻案した独自の型がある。その型とは、現実の対極に、死によって至る「純粋(rein)」で「自由(frei)」な古代の理想を置くものである。しばしば、古代の理想はディアーナやアウロラやウラーニアといった女神に体現され、此岸と彼岸の輪廻的な循環も語られる。
 第二に、ウラーニアがおそらく『饗宴』に由来することからも察せられるように、こうした古代観の源泉はプラトンに求められよう。シュライアマハーの翻訳刊行(1804年~)以前のいわゆる新プラトン主義的な翻訳・注解の影響は、マイアホーファーの刊行物の随所に認められるばかりか、「天上をひたすら志向する」非アイロニスト的ソクラテス像がシューベルト周辺で定着していたことを、友人たちの自伝や書簡が物語る。
 後年のシューベルトはこの〈ロマン主義的古代観〉を離れ、ハイネやミュラーといった左派の詩人への傾倒を見せる。神話なき〈ポスト・ロマン主義〉への一歩は、ディオティマに救いを求めた後期シューマンや、神話を終生の柱としたヴァーグナーらロマン派第2世代の志向と大きく異なるものであろう。