7月6日(土) 14:20-15:00 【一般研究発表Ⅱ】
カントの趣味判断における“目的なしの合目的性”の知覚――心の自己感触構造の分析――
古川 裕朗(広島修道大学)

 カントは『判断力批判』「美しいものの分析論」の第三の契機において,「美とは,対象の合目的性が目的の表象なしに対象において知覚される限りで,合目的性の形式である」と述べる。本発表の目的は,こうした“目的なしの合目的性”の知覚が如何なる事態であるかを明らかにすることにある。これまで“目的なしの合目的性”の理解を巡っては,様々な試みがなされてきた。その中でさしあたって本発表が参照するのは,近年,第二版を数えるO・ヘッフェ編集の解説書的研究書『イマヌエル・カント:判断力批判』である。
 その中で第三・第四の契機を担当するJ・R・ロザレスは,“目的なしの合目的性”に関して,実存論的な視点からの解釈を行う。それは,事物を日常の目的連関から解き放つことで,異化された有機的な時空間が体験されるというものである。また第一・第二の契機を担当するH・ギンスボルクは「快」を巡るテクスト上の矛盾点を指摘しつつ,快と合目的的な因果性との関係を解き明かそうとする。最終的に彼女のとった手段は,「快」と「判断」を同一視し,趣味判断を一つの無分節な知覚体験へと還元することで,矛盾そのものを消失させようとするものであった。ロザレスにしてもギンスボルクにしても,両者の考えはカントの応用的解釈としては興味深いものがある。しかし,両解釈はカント本来のテクスト内容からは著しく遠ざかっていると言わねばならない。
 両者に共通する問題点はカントが提示する諸概念の峻別が正確になされていないことであり,その大きな原因は,『判断力批判』序論でも明記されているように,Gefühlが能力である点を見落としていることにある。そこで本発表ではGefühlが能力であることを踏まえ,そこに情感的意味が含まれていることを前提としつつこれを「感触」という言葉によって理解し直したい。そして,心による心の情態感の自己感触構造を分析しつつ,“目的なしの合目的性”を知覚することが如何なる事態であるかを明らかにする。またその際に必要になるのが,カントが提示する諸概念の整理と再検討であり,特に「感性的(sinnlich)」と「美感的(ästhetisch)」,「判断(Urteil)」と「判定(Beurteilung)」,「普遍的伝達可能性」と「普遍的妥当性」,「快」と「満足」,「感覚」と「知覚」などの重要な類似概念を整理再検討する。